北海道に来てね2012年05月01日 19:02

うりむぅの北への移動は新日本海フェリーで京都の舞鶴から小樽までです。そこから弟子屈まで移動ですね。何時も移動するフェリーの乗船券の半券です。車両は5m未満で部屋は一等(今はステート)の和室にしています。いまいち料金計算が不明なのですが二名で四万と何百円だったと思います。けどいわゆる雑魚寝の部屋と料金的にはほとんど変わりません。なぜかと云うと男女合わせて2名で使用する場合その年齢の合計が88歳以上なら30%の割引が一等は使えるのですよ。従ってうりむぅは適合するので料金差のほとんど無い、一等の船室を使っています。個室でTV付きですよ。北へは約20時間で到着しますが、揺れさえなければ非常に快適ですね。

5月になりました2012年05月01日 19:27

写真は本日のランチの天婦羅です。裏庭で採れた初物の行者ニンニク、クレソン、丹波産の筍に長野県山形村産の長芋、小エビと玉ねぎ、ニンジン等のかき揚げですね。特に初物の行者ニンニクは美味しいですよ。話は変わりますが丹波産猪肉を使用した山の幸ですが非常に快調に出ています。皆さんおっしゃるのは想像していたより癖がなく特に脂身部分は噛むほどに旨みが出て来て尚且つあっさりしているので美味しいとの事ですね。今年は特に良質のスペシャル猪を用意しましたのでそう言って頂けるのはお出しする方としても非常に嬉しいです。昨日はわざわざ2時間もかけて猪を食べに来て下さった根室のお客様もいらっしゃいました。昨年よりは少しだけですがご提供出来る分を増やしていますが何時なくなるのかは不明です。因みに昨年は8月になくなりました。ご希望のお客様は是非召し上がってみて下さい。

自分の事①2012年05月02日 22:18

猟師だった祖父、現役猟師である父の事を書きましたので今度は自分の事を書きますね。私の猟歴は中学生の時から始まります。いつの間にか父達と共に猟に行くようになりました。亡くなった母はグレさせない為に父は私を山に連れて行ったのだと生前よく言ってました。はたしてそうなのか父に聞いた事がないので本当の事は不明です。猟期中、学校の休みの日はずっと猟に行っていました。当然銃は持てないのでもっぱらかま勢子として父について回っていました。夜明けとともに家を出て猪の跡を探し、寝ている所を特定する見切りと云う作業をする為です。足跡が見つかればそれが何日前なのか昨夜なら何時頃の跡なのか、行っている方向は?大きさは?何頭か?雌雄どちらなのか?等、足跡から読み取る情報は多いのですがこれは経験を積まないと難しいのです。最後は猪がどの山の何処に寝ているかを特定してから昼食となります。遅い日は午後3時頃になる事も有ります。食事を終えるとすぐに本番ですね。私達の猟は犬を使った所謂巻狩りなので猪の逃走するであろう所にそれぞれが待ち受け(待ちと云う)そこへ犬で追い込み、来た猪を射手が撃ち獲ります。かま勢子の私は当時12匹の犬をリードで繋ぎ、前に6匹、リードを股に通して後ろに6匹と云う風にして山の頂上まで登っていました。射手が待ち場に着いた頃、犬を放犬します。もともと小さく寝ている所を特定しているので勝負は早いです。放犬後5分で勝負がつく事もあります。そんな事をしながら学生時代は過ごしました。銃が持てる年になって銃の所持をして本格的に猟を始めるようになりましたがそれから30年以上経ち、今思い出すといろんな事がありました。続く・・・。

2012年05月03日 21:41

私は鳥撃ちと云うものの経験が皆無に等しいです。少々の雉、山鳥、鳩、鴨、すずめ等を獲った覚えは有りますが、専ら猪専門です。父がとにかく猟に対しては厳しく(他の事はあまり言わない)てしょっちゅう泣いて帰り、母に慰めて貰いました。だって目から火が出るほど叱るんですから。今から思えばその御蔭で今の私が有るのかも知れません。最近の親は子供を叱らない(叱り方を知らない)らしいですからね。ところで私が初めて猪を撃ったのは近所に有る茶臼山で20kg位の小さな猪でした。今でもその感激と云うか興奮と云うかはハッキリと覚えています。銃を持てる頃には山の様子を理解していましたので、かま勢子から勢子に昇格しました。足も相当早くなっており、周りの人には絶対負けない位の自信が出来ていましたね。続く・・・。

訪問者?2012年05月05日 21:38

二日に一度位のペースで来てくれます。アカゲラって皆さんおっしゃりますが本当にアカゲラですかね?