花が届いたよ ― 2012年05月24日 11:45
⑤ ― 2012年05月24日 12:00
発射と同時に柴の中から大きな猪が飛び出しすぐに倒れた。私は傍に寄って止矢を撃とうとしたが小耳に筒先を近づけようとした瞬間、右足首に猪が噛みついた。その勢いで私はその場に倒されてしまい銃は何処かに飛んでいってしまった。猪は倒れている私の腰の上に乗り盛んに牙をかけてくる。私は、ウギャーともワーとも死ぬー等と大きな声で叫んで居たように思う。当然生きた心地はしない。何せ80kg位の重量の猪が馬乗りになり牙をかけてくるのだ。何分経ったのか解らないが、気がつくと3頭の犬が傍に来たかと思うと猪は今度はそれに絡みに行った。猪が斜面を下向きに下りかけたのですぐに銃を探して後ろから撃ち下ろしで一発発射した。そのまま下に下って行ってしまったが、直ぐに下で一発の銃声が聞こえた。無線で父が倒したと言ってきたのでその方角に降りて行って父と出会う。父は私が大声で叫んでいたのでこれはただ事ではないと思い走って来てくれていたようだ。山から下りるとその下の集落で仕事をしていた丹波のお庭番さんも駆けつけてくれたようで私が山で叫んでいるのでおかしいと思い走って来てくれたらしい。故A氏はと云うと猪があまりにも傍を通ったので怖くて木に登っていたらしいく何とも情けない話。猪を見ると身体の割とは牙が極端に短いものだったが幸いな事にこれで私は助かった。そうでなければとっくに重症か死ぬかだったろう。着ていた服があちこち裂かれ、足首に噛みついた跡が残り暫くの間そこらじゅうが痛かったが何とか難は逃れた。あれから25年位経過したが私の右足首にはまだ跡が残っている。猪はヒグマ程ではないが凄く怖い。父からも猪が手負いになった時は怖いものだと思って対応しろ。けど勇気を持って立ち向かえと教えられているがこの出来事は私の今迄の狩猟人生の中で教訓にもなった大きな出来事の一つです。今でも、手負いの猪に立ち向かう時はその時の事を思い出す。あーぁ、ほんとに死ぬかと思った。
次女達到着 ― 2012年05月24日 22:52
今日、夕方5時過ぎに美幌駅まで次女とロビンとロビンママ(小学校の先生をされている)の3名を迎えに行ってきました。ロビンママはフランスのリールの町をベルギーのブリュッセルまで移動し、そこから空路、トルコのイスタンブールでトランジット、関西空港に17時間かけて到着された。その後、大阪で一泊し、うりむぅの実家で連泊。3名で天の橋立等を観光し、その後京都で連泊、また大阪で一泊した後、今話題のピーチアビエーションで関空から新千歳に移動し、札幌から都市間バスで美幌に到着された。さぞかしお疲れだったと思うが、こっちに居る間に色々見せてあげたいなぁと思っています。ロビンママもロビンも良い思い出を作ってね。因みにママは今月29日にフランスに、ロビンは6月14日に丹波に戻ります。
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